第5回「青年会議所と里山活動」(2014年4月放送)

 人と人との出会いに偶然はないのかもしれない。

 出会うべき時に出会うべき人と出会う。決して早からず、遅からず。そして、出会ったことによって目の前に新しい世界が開け、「やる」のか「やらない」のかを問いかけてきます。

 12年前のある日、幼なじみの同級生と幼い頃から兄のように慕ってきた先輩から青年会議所活動に誘って頂きました。まだ、東京からUターンして仕事の基盤も出来ていない頃でしたので、多少悩みはしましたが、せっかく誘って頂いたのだから…と、何をやっている団体かも良く知らずに仲間に入れて頂きました。その頃は所属しているだけで誰かが何かを与えてくれるものだと勘違いしていたように思います。

 2004年7月、中越地方を襲った豪雨災害、10月の中越地震、そして2007年の中越沖地震を経験し、頭で考えるだけではダメだ。受身で待っていては、何も変わらない。まずは行動しないと…ということを痛感しました。

 そして2008年、私にとって新しい扉が開いた年でした。私を青年会議所へと誘ってくれた幼なじみが理事長となり、秋葉区の「里山」を活用する事業をやろう!と相談されたのです。子どもの頃から山の中で遊んでいた私は、何かのスイッチが「カチッ」と入ったのを覚えています。久しぶりに訪れた里山は鬱蒼と木々が生い茂っていました。何より寂しかったのは、地元に住む人がこんなに近くに素敵な里山があることを意識せずに暮らし、その恵みを享受している事を感じられないで暮らしている事でした。

 私たちの祖先は、里山の恵みに感謝し、それを利用し、寄り添って生きてきました。しかし、高度経済成長期を経て、燃料は薪から石油に代わり、それによって生活様式も飛躍的に変化を遂げました。また、全てが「カネ」で買えるといった経済至上主義が蔓延し、錯覚が常識となり、本来あるべき「人と自然の関係」さえも見失っているのではないでしょうか。

 新潟に住む人が、新潟を愛し、里山に抱かれて住んでいることを誇りに思うことが私の願いです。子ども達の笑い声が響き渡るような里山を甦らせるために、私たち大人が率先して行動し、地域の中で埋もれている「人」と「モノ」を発掘し、有機的に結びつけていくことによって、里山再生の環を創っていきたいと考えています。
その繋がった小さな環が、やがて大きな流れとなり、「まちづくり」の潮流となることを信じて活動しています。

 私たち人間も自然の中で暮らしている生き物の1種にすぎず、「自然の中で生かされている」という事を、多くの子ども達に伝えていきたいです。