2016年のスタート。



2016年になりました。今年も精一杯生きられますように。

ところで、新年早々なんですが、思うことをつらつらと。

総務省の統計局によると、日本の人口はピークを過ぎ減り始めています。少子高齢化の傾向は今後も続くことは特別な事情が起こらない限り、変わりません。安倍政権になって、アベノミクス「三本の矢」が提唱され、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の矢が次々に放たれている。消費の拡大が企業の業績を回復させ、投資の拡大と賃金の上昇をもたらす。そして海外の消費も取り込み、持続的に経済成長していこうというものだ。要は、今まで通りの消費行動では、国内だけでは決して経済成長しない、だから海外へ。ということか。

かつて純粋に必要なものを買うという行為だった買い物は、売り手からの過剰な宣伝や売り込みで必要のないものまで買うようになった。いや、本来必要のないものの方が価格が高く、そういうサービスやモノを生み出す企業の方がより多くのカネを生み出している。消費によって生活は間違いなく便利になった。しかし増大した消費によって、私たちはほんとうにより幸せになったのだろうか。消費をするために、長時間働き、ストレスに見舞われ、健康さえも蝕んでいるような状態に陥っている人が少なくないのではないか。
30年前までは誰も持っていなかった(持っていなくても何ともなかった)携帯電話関連産業が莫大なカネを生み出している。

農業も、大規模化・6次産業化の大号令のもと、大規模化と農産物のブランド化によって、売り上げをアップさせる事が「これからの目指すべき農家の姿」の様に語られる。もっと効率的に栽培できないか?空き時間に育てられる作物は無いか?ビニールハウスでICTを駆使し、コンピュータ制御された最適な空間で効率的に作物を生み出す。害虫が食べると有害な特定のタンパク質を生成する作物、雄性不稔によって種子の出来なくなった作物…。本来、その地域の風土に寄り添って営まれるはずの農業が「自然の影響をいかに受けないで経営するか。」という方向に向かっているようで怖い。
人間の欲求は限りが無いようにも思える。だから人々は常に足りないものにばかり目がいくようになった。そしてあらゆる技術の進歩を労働時間の短縮や余暇に使うのではなく、消費の拡大に結びつけている。たとえ衣食住に困らなくても多くの人は現状に決して満足しない。消費主義のライフスタイルでは永遠に満足は訪れない…と思う。

そういう社会で生きているというジレンマを受け止めつつ、今年はこんな気持ちで生きていこうと思う。

私は今日一日だけを、できる限り楽しく生きよう。
家庭、仕事、運命には
自分のほうから適応していこう。
世界を自分の都合だけで変えようとはすまい。
ただ自分にいま与えられているものだけを喜び、
感謝して味わうことにしよう。
他人を批判する前に、
他人の欠点や失敗を忘れよう。
他人のよいところを見つけだし、
それをほめてあげよう。

本年もよろしくお願いします。2016年元旦